元動労委員長でJR東労組会長だった松崎明氏に、作家の宮崎学氏が「突撃インタビュー」を試みた。これまで松崎氏は何度も自分は「革マルではない」と言明してきた。しかし、その一方で松崎氏が、同派の最高指導者・黒田寛一氏と共に、創設に参加。同派副議長だったことは〝公然の秘密〟とされてきた。
松崎・宮崎両氏が「くたくたになるまで続い」たインタビューは、JR総連と革マル派の関係についても、かなり突っ込んだ内容になっており、この方面に関心がある人には必読の文献であろう。なお、これは余計なことかもしれないが、宮崎氏は革共同両派(中核・革マル)から「公安調査庁のスパイ」などと規定され、批判された経緯が過去にある。
以下は、同時代社のホームページに掲載された本書の一部である。
《宮崎》僕は「反スタ」を言ったところが一番スタになっているじゃないかと、どうしても思えるんですね。まだ共産党のほうが、スタの度合いでいえば緩いんじゃないかというぐらいに思える(笑)。なぜそうなっちゃうんだろうか。
《松崎》たしかに革マルは、スターリン主義を批判しながら、自分たちがスターリン主義と同じものになっていってしまった、と言えると思いますね。スターリンだってね、自分でスターリン主義者だと思ってなかったんだ。革マルだってね、テメエがスターリン主義だと思ってねえんだと。だいたいそういうもんなんだ。
《松崎》「俺は分派を創る」って言ったんですよね。革マルの中に分派をつくって、俺は俺で勝手にやる、なんてことを言って。……そうしてしばらくすると、黒田寛一さんの指令がやってくる。「あれはマズかったよ」と。こっそりと詫びを入れてくるわけですよ。ほんとは、俺に対する攻撃も黒田さんがやらせてるんですよ。私に言わせれば、トップが知らないで私に対して何かできるわけがないんですからね。
《宮崎》その本多延嘉が一九七五年に革マル派に襲撃されて殺害された。あの事件のときに松崎さんは正直な気持ちとしてはどういうふうに思われたんですか。
《松崎》うーん。ヤバイなと思ったね。要するにあの頃革マルサイドが言ってたのは、あっちはこっちをやる計画を立てて実行に移そうとしているから、だからこっちからやらなければならない、とこういうような話なんですよ。……ただね、一九六九年に大江君という動労青年部長が日比谷の野外音楽堂で、中核にリンチされたことがあるんですよ。それで入院してね、そのときにね、もし彼が死んだら、俺は日本刀ぶら下げて行ってあいつらをぶった斬ってやるってね、周りに言った。ほんとにそう思っていました。